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近江の国一之宮 建部大社

2021.04.04

滋賀県で一番お得なフォトウェディング・前撮り専門店「滋賀ブライダルフォトワークス」がお勧めする滋賀の観光スポット情報!

今回、滋賀ブライダルフォトワークスがご紹介する観光スポットは、近江国一之宮として有名な大津市にある建部大社です。この建部大社は、景行天皇四十六年の神勅によって、ヤマトタケルとして有名な日本武尊の御妃である布多遅比売命が日本武尊の神霊を建部の郷に奉斎されたのが建部大社の始まりだと言われています。その後、天武天皇の時代、今から約1300年前に近江国府の所在地であった滋賀県大津市の瀬田の地に祀られ、その後近江一之宮と定めたれたそうです。
これらのように由緒ある建部大社は、歴代の朝廷はもとより、源頼朝など多くの武門武将からも崇拝されるようになり、頼朝は、源氏の再興を祈願したことで有名です。それ以来、出世開運の神として崇敬されています。

また、建部大社は昭和20年に発行された日本初の千円札の図柄になったことでも有名で、その千円札にはヤマトタケルの肖像画とともに社が描かれていました。その他、国の重要文化財に指定されている女神像も有名で、ヤマトタケルの御妃とされている女神像で、口元を袖で覆い、容易に姿わ見せないという神のあり方そのものを暗示するするかのようで、おしとやかな印象がとても魅力的だと言われています。

古事記や日本書紀といった歴史の授業で一度は耳にしたことのある日本を代表する史記に英雄として登場するヤマトタケルですが、その伝説はどのようなものであったか、ここで少し紹介したいと思います。

滋賀県には伊吹山という滋賀県内では一番の高さを誇る山があります。この伊吹山にもヤマトタケルと伊吹山の神という伝説があります。日本の西国に続き東国を平定したヤマトタケルは尾張の国(今の愛知県)に戻り、婚約相手であったミヤズヒメと結婚します。しばらくの間は夫婦ともに過ごしていましたが、伊吹山に悪い神がいるとの噂を耳にし、その悪い神の討伐へと向かいます。歴戦でいくつも勝ってきたヤマトタケルはその勝利に慢心していたのか、愛刀である神剣・草薙の剣をミヤズノヒメに預けたまま戦いに向かいました。伊吹山を登る途中、巨大な白いイノシシに出会い大きな声で「これは山の神の使いだな、帰り道に相手になってやろう」と威嚇しましたが、このイノシシは山の神の使いではなく、伊吹の山の神そのものであり、その山の神の怒りにより突然激しいみぞれが降り出し、行く手を阻まれてしまったそうです。ヤマトタケルは激しいみぞれに打たれ衰弱してしまい、やっとの思いで伊吹山を脱出しました。そして故郷である大和地を目指し動き出しますが、養老の地(岐阜県不破郡養老町)を通る時には「今は歩くこともままならず、足がたぎたぎと軋む」と言ったそうです。のちにこの地は多芸野と言われるようになったそうです。

建部大社では、神前結婚式を挙げることもでき、滋賀県でも人気の挙式会場でもあります。

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