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滋賀県ゆかりの智将明智光秀を知る大津市坂本の小さな旅

2020.04.24

滋賀県彦根市にあるフォトウェディングと結婚式前撮りの専門店、滋賀ブライダルフォトワークスがおすすめする滋賀の人気観光スポット紹介!今回、ご紹介するのは、戦国の世を駆け抜けた武将であり、滋賀県大津市の坂本に居城を構えていた明智光秀に関する話です。

京阪電車の石坂線の終点である坂本比叡山口駅(旧 坂本駅)を降りると、山側に日吉大社の巨大な鳥居が目に入ってきます。日吉大社の参道を挟んで両側には美しい穴太衆積みの石垣の里坊が連なります。日吉大社の背後には緑深い比叡山がそびえています。振り返ってみると下り坂の一本道に先には滋賀の母なる湖琵琶湖が見える場所です。
坂本の歴史は古代から中国や朝鮮から多くの渡来人を受け入れ、高い文化と優れた技術を持った人たちが多くいました。788年に最澄により比叡山に延暦寺が建立され、多くの寺院が立てられました。坂本という地名の由来は、比叡山のふもとの意味で、延暦寺や日吉大社の門前町として発展していきました。延暦寺に関わる人々の必要物資坂本港より水揚げされ、終日人馬が往来していたと言われています。
1570年に起きた織田信長による比叡山延暦寺の焼き討ちで、日吉大社、西教寺、坂本の町はほとんどが焦土と化しました。多くの人々の犠牲もありましたが、その後の復興では、道を縦横に走らせ、基盤の目のように整えて計画的な街づくりが実施されました。比叡山から幾筋もに流れる水を生活用水に取り入れ分配した。今でも比叡山から流れる清らかな水が坂本の街を美しいせせらぎとなっています。

坂本といえばNHKの大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公である明智光秀の街でもある。西教寺と明智光秀の関わりも深いものがある。西教寺は天台宗真盛宗の総本山であり、どっしりとした総門は坂本城から移築してきたものだと言われています。焼き討ちにされた西教寺の復興にいち早く駆けつけ尽力したのが明智光秀である。西教寺は明智光秀の菩提寺でもあり、本堂に向かって左側の墓地入り口には明智一族の墓もあり、その中には光秀の妻煕子の墓もあります。転戦で疲れた光秀の体を献身的に看病し、その後に看病疲れで煕子は帰らぬ人となりました。戦国時代では異例なことだが、光秀は煕子の葬儀に参列していたとの記録が残っています。今堅田の戦いで戦死した光秀の家臣の供養を西教寺に依頼し、米を寄進物として送ったと言われ、部下思いの光秀の人柄の一端が偲ばれるエピソードです。今は煕子と琵琶湖を見ながら静かに二人で語り合っているように思えてきます。坂本の旅は古の歴史を生々しく間近に実感することができ、心に染みる旅になるでしょう。

京阪松ノ馬場駅を出て、比叡山無動寺からつながる古くからの道を両社の辻へ、さらに旧街道の雰囲気を残す西近江路を南に進むと坂本城址の石柱のある辻から東南寺川に沿って琵琶湖方面に向かうと大きな明智光秀像が迎えてくれる。かつての坂本城の本丸はこの公園から北に100mのところにあったとされています。そこから見る景色は光秀と同じ視点で琵琶湖を見ることができるのではないでしょうか。

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